大学バスケへ進む君へ
今年度、大学バスケ界ではセンセーショナルな出来事があった。残念ながら、あまりいいものではなかったけれど。
近いところにいる指導者や選手の情報を断片的に聞いて(一時期はどこに行っても、こちらが振らずともこの話題になった)、一度だけ練習を遠目に見る機会があっただけ。当事者たちのことは、直接的には何も知らない。
何が真実なのか知らない立場ではあるけど、この一件に際して、これから大学に進む高校生に伝えたいと思っていたことがある。
(※以下はバスケットに限った話じゃないかもしれないけど、私はバスケットまわりのことしか見聞きしていないから、"バスケットのこと"としてとらえてもらえると幸いです)
未成年と成年が混在し、成人後も"学生"というモラトリアムを生きる4年間は、自分たちがしっかりとアイデンティティを持つことが大切なんだと思う。
大人歴の長い人たちは、学生たちに"大人"を求めつつも、結局はどこかで"子ども"だと高をくくっている。そして、彼らの都合で両者を使い分ける。
「大人なんだから、もう自分たちで考えろ」
「お前たちには任せられない、俺がやる」
みたいな感じで、認識をコロコロと変えるのだ。
彼らの基準でいちいち自分たちの立ち位置を変えると、自分が何者なのか、どこをどう歩いていたかがわからなくなってしまう。
あくまでも推測だけど、今回のことも、こういうことが要因の1つだったんじゃなかろうか。
多くの指揮官は"先生"ではなくなる。学生生活での密接な関わりはなくなり、干渉もグンと減る。
「解放されてせいせいする」と思う人もいるかもしれないけど、裏を返せば今までの細やかなケアが一気になくなるということ(強豪校で育ってきた高校生は特に)。自転車の練習じゃないけれど、いきなりパッと手を離されてバランスと舵を失い、フラフラ予期せぬ方向に進んでしまった選手を何人も見てきた。
もちろん最初からうまくいくものではない。だけど、大人になろうと頑張ってみてほしいし、不完全でも大人であるというアイデンティティを掲げてほしい。自分たちで考えて、行動する。大人に自らをゆだねない。依存しない。きっとそれがみんなを助けてくれる。
SNSを見るに、今週は卒業式のピークだったようだ。
大学でもバスケを頑張りたいと思っているすべての君へ。卒業、おめでとう。
"本当はわかってる 二度と戻れない美しい日にいると そして心は静かに離れてゆくと"
みんなは本当に、美しい日々を過ごしているのだよ。あと10年もするとわかるよ。
"泣きたい気持ちはこの手にしまって 誰かのためじゃない 僕は行くから"
そう、自分自身のために、駆け出してください!